モロッコ・マラケシュ|サハラ砂漠の風

モロッコ世界遺産|マラケシュ観光完全ガイド

マラケシュの歴史を知ると、観光がもっと楽しくなる

「南の真珠」と称えられる世界遺産マラケシュ。赤土の城壁に囲まれたこの街は、1000年以上にわたり、サハラ砂漠を越えてやってくる隊商たちの終着点であり、数々の王朝が栄華を競った舞台でした。 迷路のように入り組んだメディナ(旧市街)を一歩歩けば、そこにはかつての王たちが遺した壮麗な宮殿や、静寂に包まれた神学校が息づいています。時が止まったかのような歴史の断片を、現代の喧騒とともに味わう。そんなドラマチックな旅の始まりです。

旬のトピック:歴史の宮殿で味わう伝説のコーヒー

ダル・エル・バシャ(文化交流博物館)

1910年に建てられたマラケシュ総督・パシャ、タミ・エル・グラウィの邸宅だった宮殿、現在「文化交流博物館」として公開されています。中庭にある「バシャコーヒー(Bacha Coffee)」は、連日行列(※)が絶えない超人気店。当時、チャーチルなどの国賓をもてなすために世界中から集められたコーヒーの香りが、今、現代のカフェとして蘇りました。当時の華やかさを再現したサロンで、世界中の希少なコーヒーを味わう時間は、まさにタイムトラベルそのもの。

※ 現在、ダル・エル・バシャの入場待ち、バシャコーヒーでの順番待ちがあり、観光には十分な時間配分が必要です。

この記事では、マラケシュの骨格を作った3つの王朝の歴史と観光スポットを紹介します。

 

1. ムラービト朝:砂漠の民が築いた都の礎

最初のイスラム王朝、ムラービト朝(アルモラビト朝:1062-1147年)は、1062年セネガル川のほうからやってきたベルベル人 ユースフ・イブン= ターシュフィーンが設立しました。北部のタンジェや東方のアルジェ(1082年)をも征服し、その後はスペインのアンダルシア地方へも勢力を拡大しました。カスティーリャ王アルフォンソ6世のレコンキスタと戦うタイファ諸侯の救援のために、軍を率いてスペインまで渡り、一時はバルセロナまでムラービト王朝を拡大したほどです。南はセネガルやニジェールまで影響力を持っていました。

2代目のアリー・イブン=ユースフの時代(1107-43年)にはアンダルシア文化がマラケシュでも栄えました。しかし、ムラービト朝の勢力は衰え、アリーの死後にはベルベル人の活動家 イブン・トゥーマルトが中心になり、ムラービト朝に対して宗教運動を繰り広げました。

クッバ・バアディン【水が紡いだ都市の命】

12世紀、砂漠からやってきたムラービト朝の人々にとって、最も貴重だったのは「水」でした。この小さなドーム建築は、オート・アトラス山脈から地下水路を通って運ばれてきた水を集める、高度な水利技術の結晶です。内部の精緻な彫刻はモロッコ最古の意匠といわれ、過酷な環境で文明を築いた先人たちの知恵と祈りを感じさせます。

2. ムワッヒド朝:建築と文化の黄金時代

ムワッヒド朝:1162-1269年。イブン・トゥーマルトの友人であり、後継者であったアブド・アル=ムウミニーンが、1146-7年にムラービト朝の主要都市マラケシュ、フェズ、アンダルシア地方の都市を制圧しました。

アブド・アル=ムウミニーンは軍隊、政治、経済を立て直し、検地や徴税を行い、大学を建設し、1162年にはムワッヒド朝を創始しました。スペイン(アンダルシア)やアルジェリアの半分、チュニジアもムワッヒド朝の支配下でした。

アブド・アル=ムウミニーンの跡を継いだアブー・ヤアクーブ=ユースフ1世(アミール・アル=ムウミニーン)の時代には、哲学者のイブン・トファイルやイブン・ルシュド (アヴェロエス) などが活躍しました。

最もムワッヒド朝が栄えたのはその子のヤクーブ・エル=マンスールの時代(-1198年)です。東方は、現在のチュニジアからリビア西部まで支配を拡大しました。

ヤクーブ・エル= マンスール以降、王朝は弱体化していきます。ナバス・デ・トロサの戦い以降スペインアンダルシアを失いました。ベルベル系遊牧民出身のマリーン家(マリーン朝)が北部のリフ山脈やフェズで勢力を拡大、南部でもサハラ貿易ルートを失います。1269年、マリーン朝のアブー・ユースフ=ヤアクーブがマラケシュを占領したことで、ムワッヒド朝は完全に滅びました。

クトゥビア

ムワッヒド朝時代に建てられたムーア様式建築の傑作。セビリアのヒラルダの塔と並び、世界で最も高く美しいミナレットのひとつです。モスク部分は残っていません。

メナラ庭園【アトラスを望むオリーブの静寂】

ムワッヒド朝時代に作られたオリーブの庭園で、中央にプールのような貯水池があります。喧騒の街から少し離れた、広大なオリーブ林の中に広がる癒やしのスポットです。

巨大な貯水池の向こうに、雪を頂いたアトラス山脈が鏡のように映り込む光景は、まさに一幅の絵画。かつての王たちが夏の避暑地として愛でたこの場所で、爽やかな風に吹かれながら、悠久の時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

3. サアド朝:黄金と装飾のルネサンス

サアド朝(1517-1659年)。サアド家はモロッコの南部のドラア川流域出身で、その後、タルーダント近くのティドレなど海に近いスース地方に修道場(ザウィヤ)を開設し支持を集めるようになりました。
アフマド・イブン=アアラジュの時代、1525年にマラケシュを占領したことでサアド朝が成立しました。サアド家の子孫は、スーフィズムに支えられたカリスマ的な霊力を持つとされる「聖者」(マラブー)にでまでさかのぼります。

サアド朝の全盛期は、アフメド・アル= マンスールの時代に訪れました。トルコ語を含む数カ国語を操るという天才的な人物で、外交にも優れていました。オスマン帝国の拡大を阻止したことと、ソンガイ帝国(南のニジェール川沿岸を中心に西スーダンのほぼ全域に広がる黒人王国)を滅ぼしたことで知られます。西スーダンの塩鉱を支配し、サハラ越えの交易ルートの安定化によりサアド朝への黄金や象牙の流入も以前より容易になり、
アフメド・アル=マンスールの死後も、サアド朝の繁栄はしばらく続きました。

しかし、16世紀、スペインやポルトガルは新大陸を植民地化したり、西アフリカ海岸沿いに多くの港を開発しました。このことにより、モロッコの重要な産物であった砂糖の値段が暴落しました。また、モロッコの港を通って輸出されていた黄金、象牙、黒人がモロッコを経由しなくなり、次第にサアド朝の力は衰えていきました。

ベン・ユーセフ・マドラサ【イスラム建築の最高傑作を歩く】

アブドゥッラー・アル・ガリブ(第4代目)によって建てられた神学校。
一歩足を踏み入れると、そこには外の喧騒を忘れるほどの静寂と美しさが広がっています。中庭を彩る繊細な石膏細工、杉の木の彫刻、そして色鮮やかなゼリージュ・タイル。かつて数百人の学生が寝泊まりした寄宿舎の小窓からは、当時の学び舎の熱気が伝わってくるようです。
この時代の建築技術の粋を集めたイスラム建築の最高傑作で、マグレブ(北アフリカ)地方で最大級の規模を誇る、装飾美の極致を体感してください。

サアド朝の墳墓群

黄金王と呼ばれたアフメド・アル=マンスールをはじめ1549-1659年の代々のスルタンが葬られている墳墓群

エル バディ宮殿【廃墟に漂う「黄金王」の栄華の跡】

アフメド・アル=マンスールにより当時の粋を集め25年かけて建造された宮殿。 かつては金箔や大理石で埋め尽くされ、「並ぶものなき宮殿」と呼ばれた場所。
イタリア産の大理石、アイルランド産の花崗岩、インド産のオニキスや金箔で360室の壁や天井が彩られていました。
アラウィ朝のムーレイ・イスマイル王により破壊、強奪され現在では廃墟となっています。その輝きは失われ、赤茶けた土壁が残るのみですが、その広大なスケールこそが往時の権勢を物語っています。壁の上で静かに羽を休めるコウノトリと、地下に隠された迷宮のような空間。滅びの美学を感じさせるこの場所は、歴史好きにはたまらない魅力に満ちています。

4. アラウィ朝と現代:色褪せない宮殿と伝統工芸

サアド朝が崩壊した後、アラウィ朝が成立し、都はメクネス、フェズ、ラバトへと移ります。しかし、この間もマラケシュは文化や政治の舞台として重要であり続けました。バヒア宮殿ダル・シ・サイド(工芸博物館)はそのころに建てられた建物です。

バヒア宮殿【19世紀の首相が愛した贅を尽くした暮らし】

19世紀のアラウィ朝・ムハンマド4世からアブドゥル・アジズ王の時代の首相(vizier)の宮殿。「美しきもの」という名を持つこの宮殿は、19世紀のモロッコ貴族の生活を今に伝えています。

Si Moussaの建てた宮殿部分の隣に、息子Ba Ahmedが建てたさらに豪華な宮殿が建っています。Ba Ahmedはモロッコ王国から腕利きの職人を集め、最上級の材料でこの宮殿を造らせました。メクネスから大理石が、ティトゥアンからタイルが運ばれ使われたといいます。大理石やZellijタイルが敷き詰められた中庭には美しい円柱や水盤が置かれ、主賓室が面し、アトラスシーダー材の天井にはアラベスクの彫刻が刻まれ、実に見事です。この部屋は一時、彼の妾の部屋でもありました。その奥には、広くて明るい中庭があり周囲に4人の妃と数十人の側女の部屋や、息子たちの勉強部屋や祈りの部屋があります。

ダル・シ・サイド【ベルベルの魂が宿るジュエリーと手仕事】

宮殿のすぐ近くにあります。 もともとは首相のBaAhmedの弟の邸宅として19世紀の後半に建てられ、今は博物館になっています。煌びやかな宮殿建築とはまた一味違う、モロッコの「民俗の深み」に触れられる場所です。

ジュエリーには象徴的な意味を持つものもあります。例えば、片手の指につける5つのリングは生命、創造性、幸運の意味を持ちます。アラベスクや花のデザインは、ムーア人の正典から取られました。ユダヤ人職人から伝えられた技術のおかげで、都市にも地方にも精巧なジュエリーデザインが発展し、地方ごとに伝統的なジュエリーが展示されています。

ベルベル民族の重厚なシルバーアクセサリーや、一つひとつの紋様に意味が込められた手織りの絨毯などもあり、各地方で異なる独自の意匠は、現代のデザイナーたちをも刺激し続けています。お土産選びの目が変わる、インスピレーションの宝庫です。

ベルド・フリント博物館

マラケシュの19世紀の伝統的な作りの邸宅が博物館として開放されています。

モロッコ人の恋人を持つオランダ人・民族学者BertFlintが1950年代ここに住み、モロッコのスース地方やサハラ地方の民族衣装やジュエリー、絨毯、農具などをコレクションしていました。
アンチ・アトラス地方のジュエリーやダガー(刀)、リーフ地方の壺、オート・アトラス地方のカーペットなども展示されています。

マラケシュ観光のまとめ:歴史の層を歩く贅沢

マラケシュの魅力は、ただ赤い壁が続く美しさだけではありません。ムラービト朝が築いた不毛の地での水利システム、ムワッヒド朝が誇った世界最高峰のミナレット、そしてサアド朝がサハラ交易の黄金で彩った豪華絢爛な宮殿。

今、私たちが歩く迷宮(メディナ)の路地裏ひとつひとつに、数千年の歴史の層が積み重なっています。ベルベルの伝統とイスラムの様式、そしてアンダルシアの洗練が混ざり合うこの街は、背景を知ることで初めてその真の姿を現します。

バヒア宮殿のタイル一枚、スークで手にするジュエリーの紋様ひとつ。その意味を知る旅は、単なる観光を「一生の記憶」へと変えてくれるはずです。

マラケシュの魅力は以上に紹介した内容だけではありません。イヴ・サンローランが愛した「マジョレル・ブルー」が鮮やかなマジョレル庭園や、洗練されたセレクトショップが並ぶギリーズ地区など、現代の感性が息づくスポットもたくさんあります。

歴史を知ることで、最新のカフェや庭園を訪れた際にも、「あ、このタイルの模様はあの王朝の影響かな?」と、より深い発見があるはずです。

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